昔、昔 家具を作っていた男がおりました。
この男は、我慢のできない性格の人間でした。自分の思った事だけを言って、自分の思うようにならない事は、人に当り散らしていました。あるときは、罵声をあげ、人の心をバッサバッさ切り倒して人を悲しませていました。
雇う社員さんは、どこか臆病になり気の弱い人間になっていきました。
こういう人間だから、投げやりな性格は益々酷くなりました。社員さんも居つかなくなり だんだん、人はこの男を『人きり教司』と呼ぶようになりました。
男な、仕事もうまくいかなくなり 頭を抱えることが多くなりました。人の力を借りず、人の意見を聞かない 惨めな自分と向き合うようになりました。本当は気の優しい自分なのに、どうしたらわかってもらえるか悩むのでした。そこで 隣町の「駆け込み寺の杉井寺」にお世話になるのでした。
保之和尚さんは「これ全て鏡」とおっしゃるのでした。「そうか 自分が変わればよいのか!」と思うのでした。
ある日、男の工場に まったく性格が似ている若者が尋ねてきました。
「あー。この子は 私の持っている鏡だ!」と気づくのでした。 男は全て裏返しが続くのでした。
ある時、保之和尚は、お掃除と葉書をやってみないかと誘ってくれました。
男は、掃除で心の荒みを知り葉書で人のやさしさを身につけていくのでした。男は馬鹿のように無心に取り組み、丁寧な仕事人となっていきました。しだいに全国各地に仲間ができるようになりました。そして、仲間にお礼の気持ちを込めて掃除の合言葉を板に彫りました。これを各地の掃除開場に寄贈していきました。
自分の好きな彫刻がやれて、喜んでくれる人の笑顔が男の勲章になっていきました。「この男と出会うと優しい気持ちになれる」と噂になり、全国から人々が立ち寄ってくれるようになりました。些細なことを丁寧にやり続け、小さなことを大事にして、人の喜ぶ顔を思い浮かべたとき、既にその男の手中には幸せが宿り「事足りる」を知るのでした。人を喜ばそうとする心が、どれだけ周りを温かくするか。今も、人の恩に報いるために丁寧に葉書を書き続けているのでした。
もうそこには「人きり教司」ではなく「仏の教司」がおりました。 |